ペンギンになって考える

イヌに喰われたペンギンの身にもなってみろ

ヨナヨナカクショウセツ 『科学と知識』

A氏は自分のことを不死身だと思っていた。

あるとき、A氏の隣にある男が引っ越してきた。しばらくしてA氏の噂をどこからか聞きつけると、すぐにその男はA氏の家を訪ねた。

ピンポンとチャイムが鳴ると、A氏は家の扉を開いた。そこには、何か不思議に思う表情であの男が立っていた。A氏自身、数ヶ月前に越してきたこの男とは面識があったものの、話したことは今まで一度もなかったのだ。

「どうかしましたか?」

A氏も不思議そうに、目の前に立つ男に向かって言った。

「あなたは不死身らしいですね。どうしてそんなことが分かるのです?」

と、挨拶もせずに男はA氏に尋ねた。A氏は男のことを無礼だと思いつつも、その問いに答えた。いかんせん、A氏はこの様なことが何度かあったのだ。

「私は昔、不死身になる薬が売っているのを広告で見たのですよ。もちろん、最初は怪しいと思いましたが、どうせつまらない人生でした。だから思い切って一掃のこと、この薬を買って飲んだのです。効果があるまでは、施設にいなくてはいけなかったのですが、効果があると診断されたとき、私はある実験に参加したのです」

「ある施設から薬を買った訳ですね。はて、それはどの様な実験だったんでしょうか?」

男は興味津々に次の問いをA氏に投げかけた。すかさず、A氏はこの問いに答えた。

「そりゃ、本当に不死身になっているかどうかですよ。拳銃を撃ち込まれたり、窒息させられたり、色んなことをされた様です」

「ようです…? 実際にあなたはそのことを覚えてないんですか?」

「ええ。いくら不死身とは言え、痛いものは痛いし、苦しいものは苦しいらしいですから。私は睡眠薬で意識を無くしていましたとも」

「では、あなたは実際に実験されたかどうか分からないんですね」

「確かに記憶はありませんが、薬を売ってくれた方も実験の担当者様も皆さん良い人たちでした。嘘を付くはずがありません」

と会話が続いた。しかし、あの男の一方的な問い掛けにA氏は飽き飽きとしていた。そんなこともお構いなしに、男はさらにA氏に問い掛けた。

「不死身って良いものですか? 不死身でも老いるはずでしょう。そうすれば、後々身体の自由が効かなくなって、苦しむのではないのですか?」

男の問い掛けにA氏は腹を立てた。そして、怒りをぐっと堪え、家の中へ入った。A氏はこの様な無礼者とは関わらない方が得策だと考えていた。

暫く月日が経つと不思議なことが起きた。A氏以外にも不死身がいたのだ。最初はテレビや新聞で不死身が、物珍しく取り上げられていたものの、我こそも不死身と宣言するものが多くなっていった。しまいには、半数以上の人間が不死身と宣言していると統計が出た。不死身は決まってあの施設と実験を口にして、不死身を証明しようとした。ただ、それ以上の根拠は無く、科学的にも不死身と一般人は何ら変わらなかった。さらに月日が流れると、全体の死亡率が不思議と下がっていることが発表され、あの施設の薬ではないかと皆が考え、薬を買うものがさらに増えていった。

今まで通り、穏やかに暮らしていたA氏であったが、あるときピンポンと家のチャイムが鳴った。A氏が扉を開くとそこにはあの男が立っていた。A氏は急いで扉を閉めようと思うと、その男は慌てて口を開いた。

「あの時は申し訳ありませんでした。まだ新人でございまして、調査にご無礼があったことをお許しください」

あまりにも酷く反省した男の顔を見て、A氏は扉を閉めるのを辞めた。しかし調査とは何のことだろうか、とA氏は思った。男はそのA氏の様子を見て、続けて喋った。

「実は私あの施設のものでして、この地域を担当しているのです。薬を飲まれた方に不満やご要望がないのかを調査することが仕事でして… アフターサービスと言いますでしょうか…」

申し訳なさそうに言う男の言葉に、男が施設のものということに驚きつつもA氏は口を開くとこにした。

「不満や要望ですか… 特に無いですな。不死身になってからというものの、死という恐怖がなくなり、何事も思い切って出来る様になったのです。まあ、不死身でも眠気を感じますからしっかりと寝ています。是非今度は眠気を感じない薬が欲しいものです。そうすれば、幾らでも働けるじゃないですか」

とA氏が男の様子を伺いながら恐る恐る喋ると、男は嬉しいそうに目を開き、A氏の要望に答えた。

「ええ、その様なご要望は沢山のお客様から頂いております。そこで、本日はこの不眠薬をご用意しました」

「お、不眠薬ですか。そんなものがあるなら、早く言っていただきたかった。もちろん買おうじゃないですか。幾らか高価でも、これさえあれば不眠不休で働けるので、問題は無いでしょう」

「おっしゃる通りで御座います。しかしながら、私たちはもう1つ薬を用意させていただております」

そう言うと男は、肩にぶら下げていた鞄からもう1つの薬を取り出した。そこには"15年"と書いてあった。

「15年? 15年とは一体どういうことでしょうか」

A氏は食い付き気味に男に聞いた。

「15年とは、寿命です。この薬を飲めば15年後に死ぬことが出来るのです」

はて聞き間違えかな、とA氏は思ったが、そんなはずもない。はっきりと男は寿命と言ったのだ。A氏は混乱しながらも、男に聞いた。

「寿命? 私はせっかく不死身になったのです。何故、その薬を飲んで死ななければいけないのですか」

A氏は、分からなかった。不死身を何故手放さなければいけないのかを。男はA氏が混乱していると分かっていたのか、こう答えた。

「あなたは最近、老いを感じませんか? 老い。それは不死身でも影響を受けます。生きれば生きる程老いを感じるのです。その老いという苦しみを一生、いや永遠に不死身は感じなければならないのです。それならば、一掃のこと老いの苦しみを感じる前に死んだ方がいいのではないでしょうか」

A氏は、はっとした。今まで長く生きれば良いと思っていた。だが、男の言う通りA氏は若いときと比べ、身体の劣りを感じてきた頃だった。このまま、生きれば生が苦になるのか、そうA氏は思った。それと同時にA氏は自分の安直さを呪った。何故気付かなかったのかと。

「確かにあなたの言う通りなのかもしれません。あなたはあの施設の職員さんです。ここはひとつ、あなたのことを信じてみましょう。その15年という薬も頂けないでしょうか」

A氏はそう言った。それを聞くと、男は2つの薬を合わせた金額を紙に書き、A氏に見せた。その金額は、正に15年間不眠不休で働かなければ払えない額であった。A氏はローンを組み、2つの薬を購入した。

それからというものの、A氏は返済のために不眠不休で働いた。そして15年後に静かに息を引き取った。安らかに幸せそうに眠る様に死んだという。

ある施設は、同様に2つの薬を不死身たちに売り、信じられない程の大金を得た。社会の死亡率などは分からないが、その施設が情報操作できるほどの権力を持っていることは確かだった。

 

おしまい