ペンギンになって考える

イヌに喰われたペンギンの身にもなってみろ

年を越さない者たち

「私、二〇二一年に残るね」

 

 三年間付き合った美智子に、そう言われた。

 大晦日の日、俺の部屋で年越し蕎麦を食べている時であった。

 

「俺と別れたいのか……?」

 

 突然の意志に俺は驚き、小さく聞いた。

 

「ううん。この一年とても楽しかった。慶ちゃんといれて幸せだったよ」

 

「じゃあ、なんで……来年も一緒にいようじゃないか」

 

「来年も慶ちゃんと一緒にいれる確証はある?」

 

 美智子が、まっすぐ俺の目を見てそう言った。

 美智子は、いつもそうだ。心配性だから、よく未来がどうなるのか聞いてきた。当然ながら、俺は予言者じゃない。だから、未来のことなど聞かれても分からない。普段は「分かるわけない、そんなこと」と答える。だが、今は普段通り答えてはならない気がした。

 

「あぁ、約束する。来年も再来年もずっと美智子といるよ」

 

「嘘だよ、慶ちゃん」

 

 美智子は、俺の目を見続けている。

 

「慶ちゃん、いつも言ってたよね。未来のことは分からないって。だから、私は今年に残りたい。これ以上、幸せな年はないと思う」

 

 俺は、何も言えなかった。美智子は、頑固な女だ。一度決めたら、言うことを曲げない。彼女を目の前にして、俺は何も出来ないのだ。

 

「ごめんね……私は、二〇二一年の慶ちゃんと過ごすね」

 

 美智子がそう言った瞬間、テレビから時報が聞こえた。俺は、ふと時計を見る。短針も長針も、真上を指していた。

 二〇二二年になったのだ。

 俺は、改めて前を向く。そこには、さっきまでいたはずの美智子はいなかった。

 

 

 年を越さないという選択が出来る世界。

 一度、年を越さない選択をすれば、その年を永遠に繰り返すこととなる。しかも、全く同じ行動しかできない。

 まるで、再放送のドラマと一緒だ。年を繰り返せば、台本通り決まったセリフと決まった行動をしなければならない。アドリブさえも許されないのだ。

 

 二〇二六年。美智子の記憶が薄くなってることに、俺は気付かなくなっていた。

 そう、俺は魅了されるステキな女性に出会っていたのだ。名前は、紗英といった。職場の後輩で、俺が指導係。

 小柄でアイドル顔。仕事を通じて、俺は彼女に惹かれていった。

 夏には紗英とデートをするようになり、秋にはアベックになっていた。

 俺は、最高に幸せだ。彼女と苦楽を共にしたい。いや、彼女とだから出来るのだ。きっと紗英もそう思っているだろう。

 そして、向かえた大晦日。同棲を始めた部屋で、俺たちはテレビを見ていた。年越し蕎麦を食べながら。

 

「来年こそは、海外旅行に行きたい。今年は、なにかと忙しくて行けなかったからね」

 

 俺は、蕎麦を頬張る彼女に声をかけた。

 

「……慶さん。私、あなたに言わなければならないことがあるの」

 

 紗英は蕎麦を食べるのを辞め、俺を直視する。見たことのある景色だ。五年前と一緒の景色。

 

「今年に残るなんて、言うな!俺が、幸せにしてやる!だから!だから……頼む、一緒に年を越そう」

 

 俺は、紗英の腕を両手で掴んだ。紗英は、近づいた俺の顔を直視してる。

 

「ごめんね、慶さん。私、できないの。もう年を越せないの」

 

 そう聞いて、俺の筋肉全てが緩んだ。紗英は、もう年を越さない選択肢を選んだのだ。彼女は、もうこの年を何周もしていた。

 こうなったら、どう説得しても無駄だ。一度の選択は、変えられない。

 そして、時報がなった。辛うじて、掴んでいた俺の掌から感覚がなくなる。紗英は、年を越さなかったのだ。

 

 あれから三十年は、経っただろうか。世界人口は、大いに減った。皆、この年が最高だろうと決め付け、年を越さない選択を選んだのだ。

 いや、単純に怖がっていただけなのかもしれない。これから舞い降りる不幸を恐れて、年を越さなかったのかもしれない。

 時折、紗英のことを思い出す。彼女は「もう年を越せない」と言ったが、あれは一周目から放ったセリフだったのだ。俺を騙してまで、その年に残ることを選んだ。何が、そこまでさせたのだろう。

 今の日付も時間も、年月も分からない。人口が少なくなり、カレンダー業者も携帯会社も解体したからだ。

 もしかして、今日が大晦日なのかもしれない。もしかしたら、あと一秒で年を越すかもしれない。

 だが、そんなのどうだっていい。年を越すなんて、心臓を動かすのと同じように意識できないのだから。

毎日一緒にいたキミへ

毎日一緒にいたキミへ

 

 キミと私は、毎日一緒にいた。

 毎日だと大袈裟に聞こえるかもしれないが、これは紛れもない事実だ。むしろ、毎日という言葉より四六時中の方が適切かもしれない。

 

 寝るときも一緒だった。キミは、朝が弱いようだ。私が、何回も叫んでいるのに起きやしない。

 ましてや、目覚ましをセットし忘れたら、私のせいにすることもあったね。今ではいい思い出だ。

 

 電車に乗るときも一緒だった。キミは、ずっと音楽を聴きながら窓の外を眺めていたね。キミが聞いていた音楽は、全て覚えてしまったよ。

 

 会社に行くときも一緒だった。もちろん、勤務中はあまり私を構ってくれなかった。構ってくれるのは、通勤中かお昼休憩のときくらいだった。

 

 寝る前も、色んなことを話してくれたね。キミは、泣くこともあった。笑うこともあった。私をがっちりと掴んで、私のもとで愛を囁くこともあった。

 

 暇なときには、キミは動画を観ていた。そんなキミの姿は、美しかった。

 そういえば、私は映画館で映画を観たことがない。あれは、どうも眠くなってしまう。

 

 私の行方が分からなくなったとき、キミは必死で私を探してくれたね。それも、仲間総出で探してくれた。嬉しかったよ。

 

 旅行にもたくさん行った。写真もたくさん撮った。今でも、私の記憶にしっかりと焼き付いているよ。

 方向音痴だったキミは、私の指示を無視して縦横無尽に駆け巡っていたね。旅先で、老舗のお店に向かえなかったときは、愚痴を呟いていた。まさか、私のせいにはしていないよね?

 

 私は、キミといれて幸せだったのかもしれない。

 "かもしれない"と言ったのは、私が本来そんなことを感じていいはずがないからだ。所詮、私はキミの道具に過ぎない。

 だけど、キミのお陰でそう感じることが出来た。

 

 私は、そろそろ寿命が尽きる。最近、元気が長持ちしないのだ。これでは、キミに迷惑を掛けてしまう。

 

 案外、キミと居た時間は短かった。三年も経ってない。だけど、キミは大きくなった。色んなことを経験した。それは、私が全て覚えているよ。

 

 私は、職務を全う出来ただろうか。

 寂しいが、これでお別れだ。キミは、新たな相棒と契約した。悔しいが、これでお別れだ。

 

 私は、誇りに思う。

 キミのスマートフォンとして全うした、この日々を。

人権

 真夏日の真昼間。国会議事堂の前で、デモ行進が起きた。

 

「私たちに人権を!」

 

 そう繰り返し叫びながら、大勢が一方向を向いて歩いている。まるで、なんかの仮装パレードのようだ。拡声器を使っては人権を求め、旗を振っては政府を非難している。

 かなりの規模感で、テレビ中継も行われた。テレビの前の国民も、目を見開き首を固定させ、テレビを見ていた。

 

 それが、人狼たちのデモ行進であったからだ。

 

 人狼が人間の前に現れたのは、つい一週間ほど前のことだった。人狼組合のトップだという者が、テレビに急遽出演した。

 

「我々は、隠れて生きてきました。我々も人間の一種です。テレビの前の皆さんと同じ人間の仲間です。我々にも真っ当に生きる権利があるでしょう。自由に行きたいのです。我々も」

 

 人狼のトップは、そう言った。しかし、大半の人間は人狼の存在自体を信じなかった。ただのエンターテイメントだと思っていたのだ。

 しかし、人狼を皮切りに人権を求め、デモ行進する者が増えていった。

 1ヶ月連続で行われていたデモ行進も、今では人狼だけではない。ドラキュラにろくろっ首。河童にフランケンシュタイン。その光景は、現代の百鬼夜行そのものだった。

 

 大統領は、悩んでいた。彼らが求めているのは、人権だ。人権を与えれば、参政権も付随する。ただでさえ政敵が多いのに、これ以上情勢を複雑にしたくなかった。彼らに人権は与えない。これが政府の見解だった。

 しかし、彼らの存在に否定的だった国民たちも、今では徐々に信じようとしている。それもそうだ。デモ行進に参加しているのは、数え切れないほどだったからだ。エンターテイメントにしては、規模が大きすぎる。

 救いだったのは、彼らが人間に対して友好的だったことだ。幸い、デモ行進のみで人間に危害を加えてこない。

 大統領は、さらに悩む。このままでは、人間の人権団体が黙っていない。彼らが騒げば、政府に批判的な意見も増えてくる。大統領は、どうにかして解決策を見出したかった。

 

 一人の大臣が、ある学者を連れてきた。人類生物学の権威である学者だ。彼もまた人権を獲得しようとする者たちへ批判的な立場であった。彼は、絶対的な保守派だったのだ。

 

「大統領は、なぜオラウータンに人権がないか、ご存知ですかな。オラウータンは人間にして四歳程度の知能を持っているという。だけど、オラウータンには人権がない。これは、人権というのが人格に対して与えられるのではなく、人種に与えられているからなのですよ」

 

 学者は、そう大統領に熱弁した。そして、学者はDNA解析を大統領に提言した。つまり、科学的に人間でないことを証明すれば良いということだ。

 すぐさま、大統領はデモ行進者たちにDNA解析を要求した。

 結果は、オラウータンよりも人間に近しい存在。つまり、デモ行進者を人間とは認めないという結論だった。

 この結果は、世界に衝撃を与えた。本当に、人狼や河童がいたことの証明にもなったからだ。

 

 大統領の安堵も束の間、今度はゾンビが人権を求めた。ゾンビは、元々人間だ。不幸なことに、DNA解析では人間と認めざる追えなかった。

 焦った学者は、大統領に提言する。

 

「死ぬときに、人権は神に返却するのだ。一度死んでいるゾンビたちに、人権は返ってこない」

 

 そっくりそのまま、大統領は国民の前で演説した。拍手を送る国民もいれば、その理論に懐疑的な国民もいた。

 政府は、そのままゾンビへの人権を認めることはなかった。

 

 しばらくして、透明人間が現れた。透明人間も驚くことに、DNA解析では人間判定だった。しかも、死んではいない。

 学者や大統領は、困り果てる。このまま、認めてしまえば、自分自身の立場が危うい。しかし、これ以上透明人間が人間でない証拠を提示することが難しかった。

 次第に、透明人間たちはメディアの露出を増やし、国民たちに訴えた。

 

「我々も人間です。ただ、個性的なだけだ。透明になれるという個性を持ってしまったが故に……テレビの前の皆さんも、個性をお持ちでしょう。それは我々と一緒なのです」

 

 そこまで聞くと、大統領はテレビを消した。

 国民、そして大統領すらも、人間とは何かが分からなくなっていた。そして、自分自身が人権が与えられるべき人種なのかも……

 

 

賞金首

 嫌な時代になったものだ。ほとんどの仕事は機械に奪われ、職の選択肢が少なくなった。現金も滅多に使われることなく、目に見えない電子マネーの時代。我々、強盗を生業にしている者からしては、死活問題だった。

 SNSも普及し罪を犯せば、すぐに加害者の情報が世へ周る。それを利用し、政府は賞金首制度を導入した。逃亡犯の有力情報を入手し、政府作成のSNSに投稿する。その情報が、犯人確保に役立てば、賞金が貰えるのだ。

 そのおかげで、同業者も随分と減った。しかし、我々の軍団は辞める訳にもいかない。他の仕事ができないからだ。

 

「親分。今回は、この店が良さそうです」

 

 手下が、強盗に入る店を詮索する。条件としては、現金を扱い個人経営に限る。今の時代、銀行など襲うなど不可能だ。我々にも地道な成果や努力が求められているのだ。

 手下が目星を付けた店は、七十代の店主が一人で切切盛りしている居酒屋だった。郊外で、人も少ない。ここなら、強盗にもってこいだろう。

 

「よし、早速行こうじゃないか」

 

 私は手下たちに声をかけ、現地へと向かった。

 一軒家の様な居酒屋が、ぽつりと建っていた。ここに、客はやって来るのだろうか。事前情報によれば、毎日営業しているらしい。それならば、一定の客はいるはずだし、儲けもそれなりにあるはずだ。

 我々は、店の中へと入る。昔を感じるが、古すぎはしない店内。カウンターテーブルに椅子が三席のみ。店主はカウンター越しに立っていた。

 

「いらっしゃいませ」

 

 店主はシワを寄せ、笑いながら我々に声をかけた。今から、カネを盗られると知らずに。

 我々は直ぐに作戦を実行しない。しばらく、料理を嗜むことにしている。賞金首制度が始まってからというものの、我々の顔は既に全国区に知れ渡っている。今更、顔を隠すことはしない。逆に、我々の犯行と知れ渡れば、首の額も上がるわけだ。賞金首たるもの、自身に掛けられた懸賞が高ければ高いほど、優越感に浸れるのだ。

 この店主である爺さんは、どうせ我々のことを知らない。あれは、SNSのみで展開されている情報だからだ。

 

「腹に溜まるものを頼むよ。だけども、酒は要らない。飯を食べたら、また仕事をしなければいけないからね」

 

 私は、そう店主に言った。そうでしたか、と店主は答え料理を作り始めた。包丁とまな板の擦れる音が響く。

 

「今どき、このような店も珍しい。我々は古い人間です。どうも、時代の流れについていけない」

 

「お客さんの歳くらいなら、まだ大丈夫でしょう。私なんて、もう七十を超えてますから。毎日、目紛しく変化する世の中についていくのに必死ですよ」

 

「無理して変化する必要もない。私は、この古き懐かしい店の雰囲気が好きだ。一部には、とてもウケるだろう」

 

 そりゃ、どうもと店主は答えた。実際、私はこの店の雰囲気が好きだった。今では、レストラン内でも機械が料理を作るのが主流だ。料理人は、機械に仕事を奪われないと言われていたが、そんなの嘘だった。

 ある意味、この店主と我々は似た者同士なのかもしれない。時代に取り残されながらも、自分なりに生きている。

 そんなことを考えていると、私は強盗する気にならなくなっていた。

 

「店主、やっぱり今日は呑むことにするよ。今日の仕事は辞めだ」

 

 横に居た手下たちは、驚いている。だが、そんな日もあって良かろう。

 

 酒が入ると、我々は大いに盛り上がった。流石は、個人経営の居酒屋だ。いい酒を知っている。

 二時間ほど経っただろうか。手下二人は既に爆睡していた。私は手下を起こし、会計を済ました。

 

「久しぶりに楽しかった。ありがとう」

 

 店主にそう言い、店を出ようとした。だが、扉が開かない。押しても引いても、ダメだ。開かない……

 

「お客さんと同じ職業の方は、よくこのお店に来られるんですよ。だから、なかなか電子マネーに移ることが出来ないんです」

 

 店主が、ニッコリと笑っている。俺の携帯していたナイフを持ちながら……いつの間に、ナイフを取られていたんだ……店主を殴ろうとしたが、チカラが入らない。クスリでも盛られたか……

 

「私、ずっと賞金稼ぎを生業にしているんですよ。良い時代になったもんだ。何もしなくても、情報が沢山入ってくる。時代の変化も捨てたものじゃ、ありませんねぇ」

 

 そう言って、店主はニッコリと笑った。時代の流れに乗った余裕の笑みだった。

バスジャック

 動画共有サイトが、一般的になった現代。誰もが、エンターテイナーやジャーナリストになれた。

 自分の経験を共有し、上手くいけば対価も貰えるのだ。

 自分で作成した動画をサイトに共有する。再生回数を増やすことができれば、その分広告収入が入る。サイトでは、生中継することも出来た。そうすると、投げ銭システムでリアルタイムに収益を得ることができる。

 自分の経験が、カネになる時代。スマートフォンを持っていれば、誰もが動画を共有し収益を得ていた。

 

 ケイ氏は仕事を終え、帰路に就いていた。夜の十時半。辺りは真っ暗である。疲れで意識が朦朧としているケイ氏は、会社目の前からいつも通りバスに乗った。

 奥前で行き、最後列の五人用シートに腰をかける。この時間は、乗客も少ない。乗車しているのは、一人の女性だけだ。彼女は、ケイ氏よりも三列前に座っていた。

 ケイ氏の帰路は至ってシンプルである。二十分ほど乗車すれば、自身のマンションの目前に着く。

 その途中、ケイ氏は投稿動画の内容を考えていた。好きな釣りの様子を撮影し、動画を作成することがケイ氏の趣味であった。長いこと続けた趣味動画も、今では立派な収入源である。しかし、人気が出たからといって、ラクはしていられない。内容にエンターテイメント性がなければ、すぐに飽きられてしまう。ケイ氏は、副収入を絶やさないためにも動画を共有し続け、内容についても四六時中考えていた。

 

 バスが停留所に停まり、一人の男が乗車した。男は、運転席に近い一人用シートに腰をかける。

 再びバスは動き出し、ケイ氏はバスに揺られながらも思考を続けていた。

 しばらくして、あの男が立ち上がった。そして、運転席の横に移動し、ポケットからナイフを取り出した。その先端を運転手に突きつけて、男はこう叫んだ。

 

「そのまま、走り続けろ!」

 

 ケイ氏は、予期しない目覚ましが鳴ったかのように驚き、男を見る。派手な金髪アタマ。見た目は二十代前半だ。

 

「乗客も動くんじゃねえぞ」

 

 男は乗客二人に向かって、そう言った。ケイ氏の心臓が、異常をきたしたポンプのように速くなる。

 

「これは、バスジャックだ」

 

 その男のセリフに、ケイ氏は吐き気すらも覚えた。

 男は、ずっとナイフを運転手に突きつけている。ケイ氏は、動揺し続けている脳を落ち着かせ、深く呼吸をした。

 ふと、ケイ氏は思い付く。

 これは、動画のネタになるぞ。この様子を動画にすれば、知名度は上がるに違いない。知名度が上がれば、さらに収益は増し増しだ。通報は、運転手かもう一人の女性に任せよう。なるべく、長く撮らなければ……

 幸い、ケイ氏は最後尾に座っていた。バレないようにスマホを取り出し、カメラを男に向けた。

 

「これは、バズるな……」

 

 ケイ氏は、内心そう思っていた。

 

 三十分は走り続けただろうか。相変わらず、男は叫び続け、バスも走り続けている。

 そろそろ、警察が来てもおかしくない。ジャックされたときの対策として、運転席にはボタン一つで警察に連絡が行くようになっているはずである。しかも、バスはいつものルートをグルグルと回っているだけで、通報があれば直ぐに警察が駆けつけてくるだろう。

 

「チャンネル登録、十万人超えました!」

 

 急に、もう一人の乗客である女が大きな声でそう言った。男は驚き、女の方へ駆け寄る。女の手には、スマートフォンがあった。

 

「皆さん、本当にありがとうございます。緊急生放送。登録者数十万人超えるまで、バスジャックし続けてみた。楽しんでいただけましたでしょうか。それでは、また動画で会いましょう!」

 

 男は、女のスマートフォンに向かって笑みをこぼした。ケイ氏は二人をカメラに収めることを忘れ、ただ呆然としていた。

 二人は運転席に駆け寄り、お礼を言った。そうすると、路肩に停車し二人は降りていった。運転手が席を離れ、ケイ氏に近寄ってきた。

 

「お怪我は大丈夫でしたか」

 

 運転手が、ケイ氏にそう尋ねる。

 

「えぇ、大丈夫です。しかし、ビックリしました。まさか、撮影だったとは」

 

「私も、びっくりです。こんなことに巻き込まれるなんて……」

 

「運転手さんは知らなかったのですか?すっかり、彼らの仲間かと思っておりました。なんせ、警察も来ないのですから」

 

「仲間ではないです。しかし、通報はしていません……それを含め、謝りにきました」

 

「はて、どういうことでしょうか……」

 

 ケイ氏は、運転手をとぼけた顔で見ていた。運転手はケイ氏から視線を逸らし、申し訳なさそうに答えた。

 

「業務中の運転風景を撮影し、投稿するのが趣味でして……『バスジャックに巻き込まれた運転手の風景お見せします』なんて動画あげたら、閲覧数増えるかなと思いまして……」

 

 

 

 

デスゲーム

「あなたたちには、今から殺し合いをしていただきます」

 

 

 男女六人が、無機質な部屋に閉じ込められていた。ドアが一つ。当然、このドアは開かない。壁はコンクリート剥き出しで、窓はない。

 この六人には、共通点があった。

 借金だ。

 同じ闇金業者からカネを借り、返済が不可能になった者たち。返済が出来ないのは、皆同じ理由だ。額が大きすぎるのだ。

 トゴと呼ばれるシステム。十日で五割増の利子。彼らは、大変な闇金業者から借りてしまった。

 返せなくなった彼らは、どうなったのか。

 闇金業者は彼らを取っ捕まえ、無機質の部屋に閉じ込めた。ゲームに参加させられるために。

 闇金業者は、ただの金貸しではない。金の亡者だ。儲けなければならない。

 そこで考えたのが、デスゲームだった。

 返済能力を無くした者同士で、殺し合いをさせる。金持ちが、それを観戦する。誰が勝つのか、賭けるのだ。

 言わば、金持ちのためのギャンブル。億単位のカネが動き、業者は運営金で儲けることも出来る。

 

 

 俺は、闇金業者の一員だ。就活を失敗し、大学卒業後も暇を持て余していた。そこで、サークルの先輩に声を掛けられ、今に至る。

 今日は、デスゲームの司会進行役。

 六人がいる部屋には監視カメラが設置されており、俺は別室からいつでも様子を見ることが出来る。

 気絶させられ、部屋に監禁された彼ら。本当にバカな奴らだ。闇金からカネを借りたら、その人生は終わりだっていうのに。まあ、我々もプロだから闇金とバレないようにしているのだが。

 一人の男が、目覚める。辺りを見回し、状況を判断する。落ち着いている奴だ。この状況でも、焦ることをしない。今回の一番人気だろう。

 徐々に、メンバーたちが目を覚ます。ギャルが騒ぎ始めた。唯一のドアを叩いているが、開くはずもない。ドアに背中をつけて、項垂れている。ギャルは五番人気といったところか。番狂わせを期待しよう。

 俺は、メンバー全員が目を覚ましたことを確認し、カメラをオンにする。部屋には、二百インチのテレビが設置してある。ここには、仮面を被った私の姿が映っているはずだ。

 そして、マイクに向かってお決まりのセリフを言った。

 

「あなたたちには、今から殺し合いをしていただきます」

 

 俺以外、誰もいない部屋でキメ顔をする。この瞬間が、一番気持ちいいのだ。

 しかし、今回は違った。

 何も反応がない。

 あのセリフを言えば、皆一斉にテレビを見るはずなのに。

 今回は、おかしな奴らだ。どうせ、生きる活力を失っているのだ。生きていても、業者から追いかけられる人生。今更、デスゲームに巻き込まれたからって驚きもしないのだ。

 

「唯一生き残った方には、賞金として一億円が配布されます」

 

 これもお決まりのセリフ。だが、六人は一人も興味を示すことはなかった。しかも、会話まで始めている。

 これは、まずい。金持ちたちは、彼らの殺し合いを見に来ているのだ。仲良く、和まれては困る。クレームものだ。

 こんなのは、初めてだ。さて、どうしようか。

 

 

 目覚めたら、私は知らない部屋の中にいた。コンクリートに囲まれた部屋。ずっと居たら、アタマがおかしくなりそうだ。

 私の周りには、五人が横たわっていた。気絶しているのだろうか。

 そういえば、私もどうやってここに来たのだろう。覚えているのは、パチ屋に行って負けたこと。イライラしながら帰っている途中に、後頭部に強い衝撃を食らったこと。

 そうか。私も気絶させられ、連れて来られたのか。

 五人が目を覚まし始める。混乱している女性もいたが、私は自分を落ち着かせた。皆が混乱しては、おしまいだ。

 部屋にあるモニターが、急に明るくなる。そして、仮面の男が映っていた。背景は真っ黒で、どこで撮影しているのかよく分からない。

 モニターには、仮面の男。いかにも、デスゲームが始まりそうだった。だけども、何も起こらない。

 十分は経っただろうか。モニターに男が映ったからというものの、何も進行しなかった。

 五人は、何が起こるのかとモニターを注目していたが、今は見るのを辞めてしまった。

 私は、モニターを注視する。左下に、マイクの上に斜めスラッシュの赤いマーク。

 

「ミュート……」

 

 私は、小さくそう呟いた。

のっぺらぼう

「私の顔を見てください……」

 

 男は、肩を叩かれ背後から声を掛けられる。聞き覚えのない声だ。どうしたんだろうか。

 男は声の方向へ振り返ると、そこには目も口も鼻もない肌色の平坦な顔があった。

 

「うわああ!」

 

 男は、目の前の生物が理解できない。頭は完全に止まった。足だけが車輪のように動き、その得体の知らない生物から一目散に逃げた。

 

「あれは……一体……」

 

 初めて見る生物だ。顔のパーツは全てなく、真っ平らな顔。髪は長く、二足歩行をもしていた。そういえば、服も着ていたな……

 だとすれば、人間なのか。いや、違う。

 男が、まだ小さかったときに見たアニメを思い出した。あれは、のっぺらぼうだ。

 

 次の日。仕事の帰り道に、昨日の出来事を同僚に話した。

 

「昨日、のっぺらぼうを見たんだ」

 

 それを聞いた瞬間、同僚は大きな声で笑った。よっぽど可笑しかったのだろうか、お腹を抱え下を向きながら笑っている。男もつられて笑った。

 俺も疲れてたんだよな。あんなの夢に決まってる。同僚の笑い声は、男にそう思わせた。

 同僚は、未だに下を向きながら笑っている。独特な笑い方なやつだ。

 

「それって、こんな顔だったか」

 

 同僚は笑いながら、男にそう聞いた。男は、同僚の覗かせた顔を見る。

 

「うわあああ!!」

 

 男は、一目散に帰り道を逆戻りしながら走った。無我夢中で走った。

 息が切れ、走れなくなる。男は立ち止まり、辺りを見回した。

 同僚は、追いかけてこない。いや、あれは同僚か。違う、のっぺらぼうだ。真っ平らな顔。鼻も目も口もない平坦な顔。

 

「顔色が悪いですよ。大丈夫ですか?」

 

 マスクを着用し、キャップを深く被った女性に話しかけられる。

 男は、相変わらず息が切れている。膝に手をつき、呼吸を整えていた。

 

「のっぺらぼうを見たんです……信じれないかもしれないが……」

 

 男は、ありのままの事実を話した。この恐怖を、誰でもいいから共有したかった。だから、顔を女性に向けて、目で訴えかけた。これが、事実であるということを。

 

「信じますよ。だって……」

 

 女性は、マスクと帽子を外す。

 

「うわああああ!」

 

 男は、また走り出す。とっくに走る体力など残っていないのに、足だけが勝手に動く。

 これは、一体どういうことなんだろう。皆んな、のっぺらぼうになってしまったのか。

 まさかと思い、男は自分の顔をベタベタと両手で触った。

 眼球の丸み。乾燥しきったカサカサの唇。低い鼻だが、しっかりと山を感じる。

 男は自分に顔のパーツが残っていることを確認し、安堵した。

 男は、現実が受け入れられなかった。仕事で、ストレスを抱えていたことも事実だったのだ。

 

「これは夢だ……何かの悪い夢だ……いずれ、醒める」

 

 気づけば、男は独り言を吐きながら、自宅へと向かって歩き始めていた。

 男の歩幅は、猫よりも狭い。歩幅が、男の心情を表していた。

 

「あの!すみません!」

 

 遠くから、少年の声がする。辺りには、誰もいない。男に声を掛けているのだろうか。

 少年が、物凄い勢いで男に近寄る。少年は息を切らし、険しい顔で男を見た。

 

「のっぺらぼうが出たんです!」

 

 男は、驚く。男以外にも、のっぺらぼうを見た人がいたのだ。

 

「それって!」

 

 男は、嬉しかった。やっと見つけたのだ。悍ましい恐怖を共有できる仲間を。

 大きな声を男が発したため、膝に手をつけて息を整えていた少年が、ビクッと男の顔を見上げる。

 

「うわあ!」

 

 少年が、尻もちをつく。目は焦点が合っておらず、歯をガタガタといわして動けない。

 少年は、どうしたんだろうか。男が手を差し伸べようとすると、そのまま少年は失神してしまった。

 どうしたものか、と男は辺りを見回した。辺りには、ヒトがいない。

 ふと、カーブミラーが目に入る。

 そこには、失神した少年の前にのっぺらぼうが立っていた。