ペンギンになって考える

イヌに喰われたペンギンの身にもなってみろ

年を越さない者たち

「私、二〇二一年に残るね」

 

 三年間付き合った美智子に、そう言われた。

 大晦日の日、俺の部屋で年越し蕎麦を食べている時であった。

 

「俺と別れたいのか……?」

 

 突然の意志に俺は驚き、小さく聞いた。

 

「ううん。この一年とても楽しかった。慶ちゃんといれて幸せだったよ」

 

「じゃあ、なんで……来年も一緒にいようじゃないか」

 

「来年も慶ちゃんと一緒にいれる確証はある?」

 

 美智子が、まっすぐ俺の目を見てそう言った。

 美智子は、いつもそうだ。心配性だから、よく未来がどうなるのか聞いてきた。当然ながら、俺は予言者じゃない。だから、未来のことなど聞かれても分からない。普段は「分かるわけない、そんなこと」と答える。だが、今は普段通り答えてはならない気がした。

 

「あぁ、約束する。来年も再来年もずっと美智子といるよ」

 

「嘘だよ、慶ちゃん」

 

 美智子は、俺の目を見続けている。

 

「慶ちゃん、いつも言ってたよね。未来のことは分からないって。だから、私は今年に残りたい。これ以上、幸せな年はないと思う」

 

 俺は、何も言えなかった。美智子は、頑固な女だ。一度決めたら、言うことを曲げない。彼女を目の前にして、俺は何も出来ないのだ。

 

「ごめんね……私は、二〇二一年の慶ちゃんと過ごすね」

 

 美智子がそう言った瞬間、テレビから時報が聞こえた。俺は、ふと時計を見る。短針も長針も、真上を指していた。

 二〇二二年になったのだ。

 俺は、改めて前を向く。そこには、さっきまでいたはずの美智子はいなかった。

 

 

 年を越さないという選択が出来る世界。

 一度、年を越さない選択をすれば、その年を永遠に繰り返すこととなる。しかも、全く同じ行動しかできない。

 まるで、再放送のドラマと一緒だ。年を繰り返せば、台本通り決まったセリフと決まった行動をしなければならない。アドリブさえも許されないのだ。

 

 二〇二六年。美智子の記憶が薄くなってることに、俺は気付かなくなっていた。

 そう、俺は魅了されるステキな女性に出会っていたのだ。名前は、紗英といった。職場の後輩で、俺が指導係。

 小柄でアイドル顔。仕事を通じて、俺は彼女に惹かれていった。

 夏には紗英とデートをするようになり、秋にはアベックになっていた。

 俺は、最高に幸せだ。彼女と苦楽を共にしたい。いや、彼女とだから出来るのだ。きっと紗英もそう思っているだろう。

 そして、向かえた大晦日。同棲を始めた部屋で、俺たちはテレビを見ていた。年越し蕎麦を食べながら。

 

「来年こそは、海外旅行に行きたい。今年は、なにかと忙しくて行けなかったからね」

 

 俺は、蕎麦を頬張る彼女に声をかけた。

 

「……慶さん。私、あなたに言わなければならないことがあるの」

 

 紗英は蕎麦を食べるのを辞め、俺を直視する。見たことのある景色だ。五年前と一緒の景色。

 

「今年に残るなんて、言うな!俺が、幸せにしてやる!だから!だから……頼む、一緒に年を越そう」

 

 俺は、紗英の腕を両手で掴んだ。紗英は、近づいた俺の顔を直視してる。

 

「ごめんね、慶さん。私、できないの。もう年を越せないの」

 

 そう聞いて、俺の筋肉全てが緩んだ。紗英は、もう年を越さない選択肢を選んだのだ。彼女は、もうこの年を何周もしていた。

 こうなったら、どう説得しても無駄だ。一度の選択は、変えられない。

 そして、時報がなった。辛うじて、掴んでいた俺の掌から感覚がなくなる。紗英は、年を越さなかったのだ。

 

 あれから三十年は、経っただろうか。世界人口は、大いに減った。皆、この年が最高だろうと決め付け、年を越さない選択を選んだのだ。

 いや、単純に怖がっていただけなのかもしれない。これから舞い降りる不幸を恐れて、年を越さなかったのかもしれない。

 時折、紗英のことを思い出す。彼女は「もう年を越せない」と言ったが、あれは一周目から放ったセリフだったのだ。俺を騙してまで、その年に残ることを選んだ。何が、そこまでさせたのだろう。

 今の日付も時間も、年月も分からない。人口が少なくなり、カレンダー業者も携帯会社も解体したからだ。

 もしかして、今日が大晦日なのかもしれない。もしかしたら、あと一秒で年を越すかもしれない。

 だが、そんなのどうだっていい。年を越すなんて、心臓を動かすのと同じように意識できないのだから。