ペンギンになって考える

イヌに喰われたペンギンの身にもなってみろ

作品の供養 『兎を追って』

    少女は、森の前に立っていた。何故そこに居るのかは、少女も知らない。そして、何故隣に2本足で立ったウサギが居るのかも知らない。

    

    「サリュ!!  なにぼっーとしてるんだい!?  はやく森の中に入ろうよ!!  」

 


    サリュ?  それは私の名前か、と少女は思った。少女は自分の名前さえも知らなかったからだ。状況を飲み込めない少女は、そのウサギをじっと見つめた。すると、ウサギは何かを悟ったように

 


    「まさか、記憶をなくしてしまったのかい?  サリュ。まあ仕方ないかあ。すこし働きすぎたよね。でもね!  悪いけどね!  時間がないんだよ。つぎの世界を救いに行かないと!  」

 


    と物忙しそうに言った。つぎの世界とは、そして救いとは、と疑問に思った少女であったが、そんなことを聞く時間もなく

 


    「とにかく、森に入ろう!  そしたら、一から説明してあげるよ!  」

 


    と続けてウサギは言った。少女は言われた通りに森へ入った。なぜなら、状況が飲み込めない今、ウサギに従うことが賢明だと思えたからだ。そして、森の中に小道が見えたからだ。少女は、道に沿って歩くことがどれだけ簡単でどれだけ責任を感じなくて良いのか知っていた。

    森に入り、小道に沿って歩く。ウサギは、先程言った通りに、一から説明した。甲高く思える声は、少女にとって鬱陶しかった。しかし、少女は聞いた。むしろ、聞くしかなかった。だって耳は他に使い道がなかったのだから。

 


    「きみの名前はサリュって言うんだ!  歳はね、知らないけどね、興味はないって言ったらウソになるなあ!  うーんとね、たぶん人間で言ったら16歳とか、17歳だと思うけど、いくらサリュでも、女の子に歳を聞くのって失礼だと思うんだよねえ  」

 


    サリュは笑いもしなかった。このウサギが常識を持っているかいないのか分からなかったからだ。ウサギは、ひたすら喋る。このウサギには何かボタンがあって、それを押すまで止まらないのではないかとサリュに錯覚させるほどに。

 


    「サリュは選ばれた。まあ、よくある話だけど、サリュは選ばれたから色々な世界を救わなきゃいけない。世界と言っても、そんなスケールが大きいモノじゃないかもしれない。それは、この森を抜けるまで分からないことさ!  サリュは、お年寄りの荷物を持ってあげるでしょ?  今回はそんなスケールの救いかもしれないね。分からないけど!  と に か く!!  全てはこの森を抜ければ分かるよ!  サリュ、サリュは世界を救えばいい。それがサリュの使命さ」

 


    サリュは、いまいちピンと来なかったが、この先の心配はあまりしていなかった。このウサギにずっと従っていればいいと思ったからだ。言われた通りにしてればいいと。ウサギは、そんなサリュの思いに気付くはずもなく喋り続けた。

 


    「あ!  記憶をなくしているってことは、ぼくの名前も忘れちゃったんだね。悲しいなあ。サリュはクールだけど、ぼくの名前を呼んでくれるときだけは、温かさを感じていたのに。ぼくの名前はね、ブランシュ!  だからね、ブランって呼んでよ!  」

 


    と言いながら、ウサギはサリュの顔を見上げた。

 


    「呼び方は、自分で決めるわ」

 


     サリュは、この物語が始まって以来、初めて口を開いた。何故この言葉を口にして、何故ウサギに楯突いたのかは、サリュ自身にも分からなかったが、サリュはようやく口を開いた。名前などに価値があるのか。名前は与えられる物だ。このサリュという名前は誰がサリュに与えたのか、サリュは知らない。だから、この名前に価値があるとは思えなかった。

   そんなことを思っていると、サリュはウサギが黙っていることに気が付いた。どうやら一からの説明は終わったらしい。ウサギは真っ直ぐ前を向いて、サリュの横をぴったりと歩いていた。

    何時間か歩いただろうか。ふとウサギは、小道に落ちている石を拾っては、茂みに投げ始めた。

 


    「サルか!?  サルか!?  」

 


    などと言って石を拾っては投げている。サリュは不思議に思った。茂みには、何かいる気配もない。ただ、石が落ちる音がするだけだった。幻覚でも見えているのか、こちらまでもが可笑しくなりそうだと思い、不意にサリュはウサギに聞いた。

 


     「私は、世界を救うためにこの命を使うの?  」

 


     と。ウサギは石を投げるのを止め、サリュの疑問に答えた。

 


   「さっきも言ったでしょ。それが使命だって」

 


    サリュ自身、この質問に意味があるとは思えなかった。ただただ、ウサギに石を投げるのを止めて欲しかった。この闇のような茂みから何かが襲ってくるのではないかと思って。

    更に何時間か歩いただろう。突然、光が差しサリュは何も見えなくなった。このとき、サリュはようやく森を抜けたと思った。半日くらい歩いただろうと思った。一方のウサギは、小一時間ほどしか歩いていないと思っていた。

 

 

 

 


    森を抜けると、そこから背の低い家が幾らか建っているのが見えた。だから、村が見えているのであろうとサリュは思った。

 


    「サリュ!  どうやら、今回はこの世界を救うようだね!  」

 


     と、今にも鼻唄を歌いそうな表情でウサギは言った。先程よりも、はしゃいでいるなと思いながらも、サリュはそんな気分の高揚を少し理解できるような気がした。晴れ上がり、雲もない空。ずっと暗く湿った森の中にいたのだ。いくらウサギだからと言って、いやこのウサギだからこそ、気分は高揚するだろうとサリュは思った。

     村の方を良く見ると、ヒトらしい何かが居ることがサリュには分かった。でも、ヒトではない。なぜなら、肌が真っ赤な奴も居れば、この空よりも深みがある青い肌の奴も居た。黄色の奴も黒い奴も居る。上半身の裸の奴も居れば、子どもらしき奴も居る。目新しい何かを見たサリュには、好奇心と少しの恐怖を感じた。目新しいものを見た時には、このような感情を抱くことをサリュは知っていた。サリュがそんなことを思っていると

 


    「サリュ、あれは鬼だね。ぼくは、色んな鬼を見てきたけど、怖いやつらばかりじゃないんだ!  だからサリュ、怖がらなくて平気だよ!  優しい鬼もいてね!  今回はどんな鬼なんだろうね、サリュ!!  」

 


    鬼。聞いたこともあるような気がするが、見たことは無かった。だって、少しの恐怖を感じているのだから。いや、ただ記憶が無いだけかもしれないとサリュは思った。そんなことよりも、サリュが鬼に恐怖を感じていることを前提にしたウサギの言葉に、サリュは気分を害した。

    そんなことを御構い無しに、ウサギは村に向かって歩き始めた。サリュもそれに付いて行く。それが何よりも楽だと知っていたから。

     歩いていると、サリュは雲一つない空の下、一つの疑問が浮かんだ。それをウサギに問い掛けた。

 


    「ここで、私は何をすればいい?  誰を救って、どうやって救うの?  」

 


     と。ウサギは満足そうに微笑み、答えた。まるで、その問いを待っていたかのように。

 


    「やっぱり、サリュは記憶をなくしてもサリュなんだね!  その質問、そろそろ来るんじゃないかなって思ってたんだあ。安心したよお!  記憶がなくなったから、どこかいつもとは違うサリュなんじゃないかなあって、考えてたんだよねえ!  でもそうじゃなかったみたい!  」

 


     呆れた。サリュは呆れていた。ウサギの答えは答えになっていなかったからだ。ウサギはこの程度の知能かと思うと同時に、サリュはこのままウサギに順従して良いのかと不安に思った。そのサリュの不安は直ぐに苛立ちに変わった。そんなことも、分からずにウサギは喋り続ける。

 


    「サリュ、この世界で何をすればいいかだなんて、正直ぼくにも分からない。誰を救うかなんて、サリュが決めればいいと思うし、どうやって救うかなんて、そのヒト次第じゃないかなあ」

 


    ピンと来ないその答えに、サリュはさらに不安を感じた。このウサギに頼れないとなると、サリュはどうすれば良いのか知らなかった。現状、サリュは自分一人で何も出来ないことを分かっていた。ウサギは、サリュの不安が増していることに気づかず、

 


    「サリュ!  とりあえず、分かっていることはサリュがこの世界で誰かを救うことなんだよ!  だから、まずは救うヒトを見つけるために、ひとけがある所に向かってんるじゃないか!  サリュ、安心して付いて来てよ!  」

 


    と言った。最後の一言が、サリュの不安を余計に煽った。サリュは、ウサギに順従するしかない自分を恨みつつ、順従しか出来ないことを言い訳に、この状況を正当化した。これで良いのだ、これしか無いのだ、と。

    暫く歩くと、村に着いた。出入口らしきものはなく、どこからでも入れそうだ。道も舗装されていない。ただ、家が建っているだけの村。ウサギは躊躇なく、村に立ち入った。ウサギに個人的な空間を配慮することなど、出来るはずがないとサリュは思った。同時に、自分が他人の領域に立ち入ることを正当化した。ウサギの所為にすればいいと。

     辺りの鬼たちは、サリュたちを凝視した。当たり前だ。肌の色も違ければ、片方は長い耳の獣だ。そりゃ注目されるとサリュは思った。そんな状況でも、ウサギは歩く。そこに歳のとった鬼がサリュに話し掛けた。

 


    「おや、珍しい。旅のお方かな?  」

 


    その物腰が柔らかい言葉に、サリュの中にあった少しの恐怖は少しの安堵に変わった。

 

 

 

 


    歳のとった鬼に歓迎され、サリュは村の集会所らしき所に行った。そこで、サリュは赤い肌をした鬼のアカイ、青い肌のアオヤギ、黒い肌のクロカワを紹介された。話しを聞き、その3人は村の幹部だとサリュは知った。歳のとった鬼は村長で、名前はタナカということも知った。だけれども、サリュにとって名前などどうでもよかった。なぜなら、誰がその名前を与えたのかサリュは知らなかったからだ。

     集会所の端の方では、小さな鬼たちが騒いでいた。サリュは、3人のうちの誰かの子供だろうと推測した。サリュは、子供が苦手ではなかった。むしろ、愛心していた。時より集会所に響き渡る子供たちの声にも、サリュは少し安堵を感じたくらいだった。ふと、サリュはウサギの方を見た。ウサギの表情が子供たちの笑い声が聞こえる度に暗くなっている様に、サリュは感じた。何時も笑っているウサギの表情が曇っている。ウサギにも嫌いなものがあるものなんだなとサリュは思った。

 


     「旅のお方、お腹は空いていないかな?  」

 


    歳をとった鬼がそう言った。サリュは頷いた。何故なら、急に空腹を感じたからだ。空腹かどうか聞かれたとき、大抵の場合空腹になる事をサリュは知っていた。

     ふと、サリュは不思議に思う事があった。先程まで真昼だったのに、もう辺りは夕暮れだ。そんなに時間が経っていたのか、でもそんなに歩いていないような気もする。鬼たちの話を聞いている振りをしながら、サリュは心の中でそう思っていた。だけれでも、今が何時なのか、サリュは知る余地も無かった。何故なら、時を計る道具など持っていないのだから。

      鬼たちは、ずっと話している。最初の方はサリュを歓迎し、話を振っていた鬼たちだったが、次第に鬼たちだけで話す様になった。サリュは、自分の返事が素っ気無いからだと思った。殆どが世間話で、サリュにとってはどうでもいい話ばかりだった。サリュは鬼たちの世間話を聞いているだけなのだから、まだ救われていると思った。打ち解けていない仲で世間話を一緒にするなど、どれ程苦痛なのか、サリュは分かっていた。

     暫くすると、料理が運ばれてきた。野菜や魚など、食べれそうな料理でサリュは安堵した。思ったよりも豪華だなと心の中でサリュは思った。けれどもその思いを、言葉にも表情にも出さなかった。ふとサリュはウサギの方を見ると、ウサギにも料理が渡っていることが分かった。どうやら、ウサギには野菜のみらしい。でも、曇っていたウサギの表情が元に戻った様にサリュは感じた。食事は気持ちを明るくする。サリュはそんな事も知っていた。

    また1つ、サリュは心の中で不思議に思う事があった。この野菜は何処で採れた物なんだろう。この魚は何処で捕った物なんだろう。だって、この村は家が建っているだけの村。家しかない村。集会所まで歩いて来たが、サリュは家しか見なかった。そう、畑もない。況してや、潮の匂いも川のせせらぎもしない。じゃあ、この野菜や魚は何処で取れたんだろう。サリュは、食事をしながらそう思っていた。小さな事かもしれない。この疑問は、何の価値も無いかもしれない。だけど、聞かなければいけない。この疑心を晴らさなければいけない。サリュは自分自身でも不思議な程、強く思った。だから、サリュは鬼たちに聞いた。

 


     「この野菜や魚は、何処で取れたものなの……  」

 


     久しく喉を震わせていなかったため、ぎこちなく弱々しい声で、サリュは疑問を鬼たちに投げ掛けた。鬼たちは驚いた。それは、サリュの質問の内容に対してではなく、サリュが口を開いた事にだろう。サリュは、鬼たちの反応を見てそう思った。少しの間を空けて、赤い肌の鬼が口を開いた。

 


     「人間の村からとってきたんだよ  」

 


     優しい声で答えた鬼であったが、その声とは裏腹にサリュは妙に思った。とってきた、とは?  恐らく鬼たちは、自分で野菜を育てたり、魚を釣ったりはしていないだろう。鬼たちが人間から食糧を盗ったのではないか。と、サリュは心の中で思い始めた。この世界に、他にも人間が存在している事が分かったというのに、そんな事はサリュにとってどうでもよかった。何故なら、鬼たちが本当に人間から略奪しているとしたら、この場に居るサリュにも危害があるかもしれない。そんな恐怖が、サリュの心の中に込み上げて来た。まだ確証は無い。サリュは、心の中の恐怖を誤魔化そうとしたが、鬼たちの外見からサリュは勝手に鬼たちの行為を確信していた。人間から奪ったに違いないと。

    強張ったサリュの顔を見たのか、歳のとった鬼が喋り始めた。

 


    「やはり、人間のお方は盗ることに難色を示されるようじゃな。我々は人間から奪うことで、食糧を確保しているんじゃ。先代からずっとそうしているんじゃよ」

 


    サリュには理解できなかった。何故、そんな事を堂々と告白できるのかと。何故、その罪を当たり前の様に言えるのかと。いつ習ったのか、何故習ったのか、サリュには分からなかったが、盗る事がいけないと知っていた。その行為が罪だと知っていた。サリュは、鬼たちの答えに自分の言葉を返す事が出来なかった。そんなサリュの事を御構い無しに、黒い肌の鬼が続けて言う。

 


    「あんたの先祖が昔からやっていたら、きっとあんたも当たり前にやってると思うっすよ!  まあ、これが文化の違いってやつっすね!!  」

 


     そんな陽気な口調に鬼たちは笑いあった。でも、サリュは笑わなかった。笑えなかった。文化とは?  文化とは何だ。サリュには、文化の意味も定義も分からなかった。そして、サリュは初めて文化という言葉の意味や定義について考えた。この状況で、答えが出る筈も無いのに。

     

     バタンッ!!!

 


     大きな音を立てて、集会所の戸が開く。其処には息の切れた黄色い鬼が立っていた。

 


    「ヤツらが来るぞ!!  」

 


    鬼の体格らしい大きな声で黄色い鬼が言った。鬼たちの笑い声は一瞬で静まった。鬼たちは震え恐怖を感じている。サリュはそんな事も分かったが、今はどうでもよかった。だって、文化という言葉が理解できなかったから。

 

 

 

 


    「なんで、いまさらだ!?  」

 


    「はやく準備せんと!!  」

 


     「前にヤツらが来たのは、まだこの子たちが生まれてなかったときだ!!  」

 


     「また俺たちは殺されるんすかっ!!  」

 


     「落ち着くんじゃ!  ヤツらは昼行性。まだ時間があるじゃろ!!  」

 


     鬼たちは焦っている。何となく、サリュには状況が理解できた。ヤツらというものが、鬼たちに何かをするらしい。ヤツらに殺されるから、鬼たちは恐怖しているのかもしれない。サリュはそう考えた。鬼たちは恐怖している。お互い会話している様で噛み合っていない。こういう時は、誰かが冷静にならなければ解決しないことをサリュは知っていた。

 


    「僕たちが、どうにかしましょう!!  」

 


    と、急に甲高い声が集会所に響き渡る。鬼たちは時が止まった様に自身の行動を止め静かになった。一番驚いたのはサリュだ。誰がこの言葉を発したのだろうか。でも、こんな甲高く鬱陶しい声を出せるのをサリュは一人知っていた。いや一匹知っていた。あのウサギだ。今まで、鬼の前では一言も喋っていなかったのに、いざ言葉を発したと思ったら、これだ。サリュは再びウサギに対して呆れた。それと同時にサリュは思い出した事もあった。そうだ、この世界を救いに来たんだと。

     鬼たちも驚いていた。皆、大きな目を見開いてウサギを見ている。

 


    「だから、ぼくたちにあなたたちのことを詳しく聞かせてくださいな!  」

 


     ウサギは言った。大した度胸だなとサリュは逆に感心した。鬼たちは、お互いに顔を見合わせていた。このウサギを頼っていいものか、などと思っているのだろうとサリュは考えた。暫くして、鬼たちが不安そうに、サリュたちに事情を話した。

    どうやら、食糧を奪われた村の人間は鬼たちを討伐する為に、ヤツらを雇ったらしい。それはそうだ。人間は大抵の場合、やられっぱなしでない事をサリュは知っていた。ヤツらは四人いて、一人は翼が生えていて、一人は獣耳が付いていて、一人はお面を被っている。最後の一人は、額に鉢巻を巻いていて、こいつが頭領だと言う事もサリュは知った。ヤツらが来るのは今回が初めてではない。前回はうんと昔の事だったらしいが、村に住む鬼たちは半分も殺された。

     サリュは思った。逃げればいい。鬼たちは農耕をしていないのだから、移住も簡単であろうと。そして、半分も殺されたのになぜ略奪を続けたのだろうかと。きっと自尊心だろう。人間たちに負けてなるものかという自尊心だろう。その自尊心が、どんな犠牲を払っているのかも知らずに。サリュは、自尊心がどれだけ周りに影響するか、そしてその事がどれだけ愚かなのかを知っていた。だけども、サリュはその思いを鬼たちに伝えなかった。だって、鬼たちが自尊心を持とうが持たまいが、サリュにとってはどうでもよかったからだ。

 


    「鬼さんたちは、家の戸を閉めといてください!  その4人が入って来ないように。それだけで大丈夫!  あとはぼくたちに任せて!  」

 


    ウサギは場違いに明るく言った。鬼たちが輝きを持ってウサギを見ている事が、サリュには分かった。きっとウサギに従うしかないのだろう、それくらい窮地に立っているのだろうとサリュは思った。

 


    「ヤツらは朝方来ると思います。どうぞ、それに備えてここでお休み下さい  」

 


    赤い鬼がそう言った。優しい声が更に優しくなったとサリュは思った。そんな事をサリュが思っていると、鬼たちは子どもを連れて集会所を後にした。サリュたちが、どのようにヤツらを対処するのかも聞かずに。その事がサリュには不思議でならなかった。何も聞かずに、自分の命が預けられるのかと。これも文化の違いなのかと。

    鬼たちが集会所から居なくなると、サリュはずっと言いたかった事をウサギに言った。

 


     「思い切って勝負に出たわね  」

 


と。ウサギはその言葉に直ぐに答えた。

 


    「サリュ、ぼくはね、勝負は勝てるもんだと思ってるんだ!  だってね、勝てる勝負しかしないんだから!  」

 


     笑みを浮かべながら言う。サリュは、ウサギがヤツらをどうにかしてくれるだろうと考えた。この際、ウサギを頼もしく思う事しかサリュには出来なかったのだ。それと同時にサリュは急に眠気を感じた。寝具は用意されていなかったから、サリュはそのまま床に寝転んだ。そして、このまま寝てしまおうかとサリュは思った。そんなことを思っていると、ウサギがサリュの顔を覗き込んで言う。

 


    「さあ! サリュ! 誰を救おうか!?  鬼さんたちを救うかい?  それとも人間たちを救うかい?  うーん、ヤツらを救う…?  サリュが決めておくれよ!  」

 


     サリュは理解できなかった。だって、サリュは答えを持っていたからだ。当然の様に鬼たちを救うと思っていたからだ。笑顔で問い掛けてきたウサギに、サリュは少しの狂気を感じた。ウサギが、鬼たちをどうにかすると言ったじゃないか。サリュには訳が分からなかった。その問い掛けの意図が、分からなかった。

     何も答えないサリュを見て、ウサギは続けて言った。

 


    「うーん、やっぱり鬼さんたちを救った方がいいよね!  だって、4人倒すだけで鬼さわたちは救えるもんね!  」

 


    ウサギの言葉に考えの差異をサリュは感じた。だけれども、ウサギは鬼たちを救う気だとサリュは思った。それで良いのだと思った。思い掛けない事をするには、大変な労力を必要とする事をサリュは知っていた。だから、流れ通りに鬼たちを救いたかった。鬼たちを救う事が今までの流れからいって、当然だとサリュは考えていたから。

    ウサギが何をしようとしているのか、ヤツらをどう対処するのか、サリュは気になった。だけども、サリュは眠かった。聞かなければいけないのは知っていたが、眠気には勝てなかった。サリュは、眠気に負けて目を閉じた。

 

 

 

    「起きて!  サリュ! 起きて! 朝だよ!  勝負の時間だよ!!  」

 


     甲高い声を聞いて、サリュは眼を覚ます。鬱陶しく思ったが、大事な用を寝過ごすよりはよっぽどマシだと思った。サリュは細目で辺りを見回す。まだ薄暗かった。

 

 

 

 


    長い髪を軽く整え、サリュは集会所を出た。まだ薄暗い空に、サリュは余計に眠気を感じた。どれだけ寝たかサリュには分からなかったが、まだ眠いのは確かだった。

 


    「しっかり鬼さんたちの家の戸が閉まってるね! これで安心だよ!  」

 


    ウサギは眠気を感じないのか。サリュはウサギの声質からそんな事を思った。村はすっかりとひとけが無くなり、静まり返っている。

 


    「サリュ!  広場みたいなところに行こう! そこでヤツらと戦うんだ!  」

 


    と、ウサギは言って歩き出した。

 


 戦う?

 


 サリュは自分の行動を後悔した。そうなるのであれば、寝る前から気持ちを整えていれば良かったと。眠気に負けたサリュは悔いた。そもそもで、ウサギの言っている内容と声質が合っていない。眠い。戦うとは何だ。どうやって。危ないじゃないか。サリュは、様々な思いが頭に思い浮かんだが、どれも処理が追いつかず苛立ちを感じた。だがら、サリュは取り敢えずウサギに着いて行く事にした。何も考えずに。

    少し歩くと、家の建っていない開けた場所に出た。

 


    「サリュ!  ここでヤツらを待とう! サリュは地面に寝てればいいさ! あ、そうだった。戦うには武器が必要だね! サリュ、今から用意するからちゃんとキャッチしてね!  」

 


     とウサギは言うと、ぴょんと跳ね上がり、空中で一回転をした。何も考えていなかったサリュは、落ちてきたモノを慌てて反射的に左手で掴んだ。それは、ウサギではなかった。銀色に輝く綺麗な小刀だった。

      

    「ナイスキャッチ! サリュ! さあ、はやく寝転んで! あと少ししたらヤツらがくるはずさ!  」

 


      小刀から、甲高く鬱陶しい声がする。サリュは、この小刀がウサギだという事は分かったが、ウサギが小刀になった理屈は全く分からなかった。先程から寝転ぶことを急かされているサリュであったが、訳が分からずウサギに聞いた。

 


    「あなたは、一体…?  」

 


      ウサギは直ぐさま答える。この問いも待っていたかのように。

 


     「サリュ! ぼくは、サリュにとって魔法であって、サリュにとっての科学だよ!  」

 


     得意満面とその言葉が小刀から聞こえる。サリュは小刀をまじまじと見たが、その答えに納得する事は無かった。魔法と科学は相反するモノなのに。サリュは、そうも考えていた。

    理屈が理解できない時、行動する事が得策だ、という事をサリュは知っていた。だから、ウサギに言われた通り、地面に仰向けの状態で寝転んだ。空はまだ薄暗かった。サリュは土の臭いを感じた。こんな臭いを嗅ぐのは、サリュがまだ泥団子を作っていた頃以来だ。そんな事をサリュが思っていると

 


    「サリュ! 寝転がってって言ったけど、ほんとに寝ちゃったらダメだからね! あ、あと、ぼくは背中の後ろに隠して持っていて! 」

 


     とウサギが笑いながら言った。そんな小刀から聞こえる笑い声に、不安と緊張は少し和らいだ様に、サリュは感じた。未だに、ウサギが何を企んでいるのか分からなかったが、サリュはどうにかなるのではないかと考えていた。

 

 

 

 


    仰向けになってどれ程経っただろうか。サリュには分からなかった。心臓は大きくなったり、小さくなったりを繰り返し、サリュは余計に緊張を感じた。何もしない時こそが、最も緊張や不安を感じる事をサリュは知っていた。

    ふと、サリュの心臓は動きを止めた。少し明るくなった空に、翼の生えた何かを見たからだ。その何かは、来た方向に戻って行く。きっとヤツらの内の一人で、サリュを見つけ、それを仲間の所へ報告しに行ったのだろうと、サリュは考えた。

    サリュは、どうにかなるという考えを一瞬にして忘れた。四人を相手にどう戦う。この小刀でどうやって戦う。ウサギは何故教えてくれない。サリュの頭には負の考えしかなかった。

    すると、男の呼び声がサリュの耳に入った。こちらを心配しているような声だと、サリュは思った。と同時にその男が走って近づいてくる事が、地面の振動から分かった。

 


    「サリュ、動いちゃダメだよ  」

 


     小刀から小さな声が聞こえた。サリュは言われた通り、地面に背を付けたままにした。男の声と足音は次第に大きくなり、それと比例してサリュの心拍音も大きくなった。サリュは、走り向かってくる男をちらっと見た。額には鉢巻。ああ、どうやらあいつが鬼たちが言っていたヤツらの頭領だろう。サリュは空を見ながら、必死に頭を回転させて、必死にそう考えた。そして、電源がすっと切れたように目を閉じた。

     男がサリュにいよいよ近付くと、立ち止まる暇も無く、跪きサリュの背中を掬い上げた。男はずっと何か言っている。けれど、サリュにはその言葉を理解する事は出来なかった。

 


     ぐさり

 


    それは余りにも急な出来事だった。その音は、まるで葉野菜を包丁で切る様な音。いや、サリュの想像上の音なのかもしれない。だけど、サリュはしっかりとその音を聞いた。その代わりに、先程まで聞こえていた男の声が聞こえなくなった。サリュは、左手に温かい流動体が流れてくるのが分かった。小刀を持ったサリュの左手が何処にあるのか、サリュは見なかった。見たくなかった。だって、自分の罪が確定してしまうと思ったから。サリュは未だに何が起きたのか、分からない。いや、本当は理解しているのかもしれない。

    刺した? この男を。何故、どうして? 私が? 私はやってない。小刀が勝手に動いた。でも、小刀を持っているのは私だ。サリュは自分が何をしたのかさえ分からない。

    ばたんと男は後ろに倒れる。だけど、サリュはその姿を見ないように立ち上がった。なぜなら、自分自身が何をしたのか分かってしまうから。サリュは、何処を見ているのか自分でも分からなかった。自分の頭が働いていることは理解できたが、何を考えているのか分からなかった。サリュは放心した。

     

    きえええええええええ!!!!

 


     突然、空から聞こえる警笛の様な声。サリュは空を見上げると、刀を振り上げて翼の生えたヤツがサリュ目掛けて飛んで来た。

 


     「サリュ!!  左手を斜めに上げて!  」

 


     まるで自我を持った左手から聞こえるウサギの声が、サリュを我に返させた。サリュは言われるまま、左手を斜めに上げた。自然と目に入った、小刀を持った左手は赤かった。けれども、サリュはそれどころじゃなくなっていた。翼の生えたヤツが、今にもサリュを斬り殺そうとしていたからだ。サリュは死を覚悟した。だから、叫んだ。大きな声で。

 


    「ブランッ!!!    」

 


    ばきゅーん

 


    左手から、幼稚で鈍い音がした。サリュは自分の左手を確認する。持っていた小刀は、もう小刀じゃなかった。赤く銀色に輝く小銃だった。

 


    「やっと名前を呼んでくれたね、サリュ!    」

 


     今度は小銃から甲高い声がした。その声は妙に嬉しそうに、サリュには聞こえた。翼の生えたヤツは地面にぐったりとうつ伏せになっている。この小銃に撃たれて墜落したのだろう。開けているようで機能していなかった目の所為で、サリュはその瞬間を見ていなかった。